久しぶりに日本へ帰っていたり、子供達が夏休みに突入してしまったり
しているうちに、気がついたら、長いことブログを放置してしまっていました。
これからは、もう少しラフに色々書いていこうかなぁ。なんて考えています。
気が向いた時だけのブログですが、またたまにのぞきに来てくださいね。
久しぶりのブログ。今日は、意識は具現化すると言うお話。
人は、持っている感情や信念体系などを、具現化してその持っているものを
見たり体験することができます。
被害者意識がある人は、その「被害者」と言う意識をあらゆる場面で
具現化してしまうので、いつも貧乏くじを引いているような、いつも
被害にあっているような感覚になります。
貧困意識の強い人は、お金に損したり、払わなくてはいけなくなるような
事が起きやすかったり。
違う言い方をすれば「引き寄せ」てしまっている。
または、見たい映像をみているだけ。
なので、自分の現状を見れば、何を自分が抱えているのかが、よく分かる。
私は、人から批判されることが大の苦手(得意な人がいるとは思えないけど)。
主人に何か言われると、どうしても批判された気がしてしまう。
なので、「批判的に言わないで欲しい。もっと穏やかに話して欲しい」と
伝え、彼も「批判はしていないよ。」と穏やかに話してくれるも、
ど〜しても批判されているように聞こえてしまう。←かなり重症😅
なので、話合わなくてはいけない内容にいく前に、批判されたわ〜😡
と、ここでいつも喧嘩になってしまい、前へ進めない。
そこで、その日の話し合いは終わりにして、この「批判される」を
キネシオロジーで手放していきます。
そして、後日、再びまた同じ内容の話し合いをすすめると。。。。
まじで、びっくりするほど、相手の言いたいことが伝わってきます。
なに、これ?
そう、もう「批判されている」を手放してしまったので、自分を防御する
必要がないから、相手の話を安心してきちんと聞けるのですね。
「批判される」を抱えている→「批判される」を具現化→批判されないよう自分を防御→話し合いにならない→喧嘩
これが、私のいつものパターンでした。
「批判される」を手放した→相手の言いたい事が、シンプルに入ってくる→自分の感情抜きで冷静に話し合いを進められる。
上と下の違い分かります?
上も下も、相手は何も変わっていません。
変わったのは、私が「批判される」を手放しただけ。
上も下も、何も起こっていない。
ただ、自分が持っているものを具現化しただけ。
もしくは、自分が見たいストーリーを見ただけ。
または、自分が抱えているものを引き寄せただけ。
ただ、それだけのこと。
が、ここで、相手側が抱えているものがこの話し合いの中で具現化してしまったり、
ストーリーが始まってしまうと、ことは複雑化してしまう。
私が、批判されたわ!と憤慨し、言いたいことが全然伝わらない主人は
ここで、彼が抱えている疎外感なんかが出てきてしまうと、
「嫁は、どうして俺のことを分かってくれないんだ!?」😡
怒り出す主人を見て、更に私は、「酷い!私は一生懸命やっているのに、
どうして怒るのよ!?」😡😡😡
「そんなことを言っているんじゃない!俺の話をきちんと聞け!」😡😡😡
はい。何を喧嘩しているか、わかります?
もう、こうなってくると噛み合っていないまま、隠れた感情だけが出てきて、
噛み合わないまま、どこへも向かえず、感情の爆発で終わるという
これ、殆どの喧嘩や仲違いのよくある図なのでは?
真髄を見る前に、話し合う前に、自分が抱えているものが具現化してしまっている
だけなのに、あたかも、その物事が起きているように見えてしまう。
私の場合、「批判されているのではない。批判されているように感じているんだ。」と冷静に主人の話を聞いているのに、どうしても批判にしか聞こえない。
一言一言に反応してしまい、それって批判じゃね?と結局最後には、
話し合いなんかどうでも良くって、自分は悪くない!と防衛に入ってしまう。
頭では、分かっているんですけどねぇ。
信念体系なんかを手放すのはとても難しいけど、何かが起きた時に
自分が何に反応しているのかを、一歩引いてみるといいでしょう。
どっちが正しい、とか何が正しいとかではなく、一体自分は何に反応しているのか。
そうすると、自分の意識や信念体系が見えてくるかも。