もし、この世に誰もあなたを守ってくれる人がいなかったとしてみよう。
あなたは、生き延びるために自分で自分をまもるだろう。
守ってくれる人がいないのなら、弱い自分を見せるわけにはいかない。
いつも強い自分でいるだろう。
もし、いつも側にいる誰かが、あなたを批判ばかりするとしよう。
あなたは、もう批判されるのは嫌だ!と、いつも完璧でいるよう心がけるかもしれない。
もし、いつも、あなたのお世話をしてくれる人が、
あなたに「あれはダメ。こうしなさい。私の言うことを聞きなさい」と、
四六時中コントロールしようとする。
あなたは、きっとその環境が窮屈で、自分に自由がない気がするかもしれない。
もし、あなたが慕っている人が、あなたを信頼せずにあなたのことを心配ばかりして、
色々やってくれてばかりいたら、あなたは、自分には能力がなく自分をとても弱く
感じるかもしれない。そして、慕っている人をがっかりさせないよう、
そのように(能力がなく弱い)振る舞うかもしれない。
もし、あなたの周りにいる人が、機嫌が悪いとあなたに当たり散らすようだったら、
あなたは、いつも人の顔色を無意識にみているかもしれない。
子供は、生き延びるために、その環境に順応して上手くサバイバルしていきます。
それが、本当の自分でなくても、その環境でそれを望まれるなら、
そのように生きていくし、その環境での役割を自分に当てはめて生きることも出来ます。
私は、ある時期から、無知であること、すこし天然っぽくしていることで、
自分を守れることに気がついてしまった時がありました。
それから、長いこと無知で天然であり続け、そしてそんな自分もまた心地よくいたため、
これが本来の自分だと思い込んでいました。
最近、そのサバイバルプログラムを外してようやく本来の自分を思い出しました。
そうだ、そうだ。以前の私は、頭の回転も早く、異常に集中力もあったじゃないか!
冷静に話も出来たし、目上の人にも分かりやすく筋道を立て意見が言えていた。
自分でも、同じ人間とは思えないほど、変わってしまったことに驚きでした。
そして、以前の自分をすっかりと忘れ、天然キャラが自分だと思い込んでいたなんて!
天然キャラも良かったけど、サバイバルプログラムが外れ、
ようやく本来の自分に戻れた安堵感と言うか、しっくり感と言うか。
とにかく、これこれ!これが私だった!と言う感じ。
では、物心がつく前に始まったサバイバルプログラムの場合は、どうでしょう?
物心がつく前からの自分。
物心がついてから始まったサバイバルプログラムで変わってしまった自分でさえ、
本来の自分を忘れてしまうと言うのに、それが物心つく前からだったとしたら。。。。
そして、残念なことに、多くのサバイバルプログラムは、この物心つく前後に始まることが多く、
多くの人は、今の自分の性格は、本来の自分だと思っていることでしょう。
よく自分の能力、または使われている脳は3%でしかないと言うけれど、
「これが生まれつきの自分の性格であって能力なんだ」と思い込んでしまえば、
きっと実際に使われる本来の能力は3%位なんだと思う。
でも、色んなサバイバルプログラムを外していくことによって、
そもそも「本来の自分」が違っていることが沢山あります。
私は、英語が苦手でした。
何故なら、言葉が耳に入ってこないから(汗)。
分からない単語が続くと、もう「わーわーわー」としか聞こえなくなってしまう。
どんなに集中して聞いても、知らない単語が続くとダメ。
ラジオなんかは、もう全く何も入ってこない。
私は、英語の才能がないんだ。語学のセンスがないんだ。
諦めていたのですが、最近、語学の調整をしたところ、聞こえるようになったのです!
分からない単語も、聞こえるようになったんです。
そして、分かりました。
あぁ、語学ができる人には、こんな風にちゃんと聞こえていたんだぁ。と。
知らない単語もちゃんと、耳に入っていたんだぁ。そりゃ、私、上手くならないよなぁ。
だって、ちゃんと聞こえていないんだもん。
人の能力って、本当は限りないんだと思います。
人の性格も、また、それが本来の性格かなんて分からない。
人は、なんでも決め付けてしまう生き物だけど(決め付けてしまうと安心する)、
その決め付けてしまった枠を一旦外してみるといい。
びっくりするほど、自由でクリエイティブで才能溢れる自分がいるんだから。
自分には、能力がない。才能がない。頭が悪い。
そんなことを、自分で決め付けてしまっては、自分に失礼ですよ。
あなたは、沢山の可能性を持った才能溢れる人間だったと言うことを、忘れてしまっているだけ。
さぁ、本来の自分へ戻っていこう。