私は、自分のことを社交的でフレンドリーな方だとずっと思っていました。
心を開いて喋ってくれないママ友や、なんだか無愛想な近所の人を苦手だなぁ。
なんか、受け入れてもらえないなぁ。なんて、思っていました。
でも、最近、自分のヒーリングを行ったところ、「人を受け入れる」と言う問題が上がってきました。
あら、私、人を受け入れいないの!?
社交的でフレンドリーな方だと思っていたけど、違った!?
調整が終わってから、苦手だなぁと思うママ友に会い話しをしていると、
なんだかいつもと違って話しがすごく進むし、愛おしいとまで思えてきてしまった!
苦手だった近所の人も、あら?すごく話しやすい!
そう、ママ友や近所の人が、心を閉ざしていたのでなく、
何を隠そう私が心を閉ざしていた(笑)!
彼らが、私を受け入れていなかったんじゃなくて、
私が受け入れていなかった!
でも、私が「人を受け入れられない」と言うことに気づいていなかった頃は、いや、気づきたくなかったころは、
「私は、フレンドリーなのに、あの人が私を受け入れてくれない」
に、筋書きを勝手にかえ、そのように世間を見てしまっていたんですね。
人が見る世界のなんといい加減なこと!
そして、心閉ざしているのは、あなただよ〜!と、何度もそのような現実を、
他人と言う鏡を使って映し出してくれているのに、気づきたくないものには、気づかないのか。。。
人が作り出す世界は、その人の都合のいいように作られてしまうんですねぇ。
だから、絶対!なんて世界は、ないんですよね。
人が見たり感じたりするものには、その人各々のフィルターで見たり感じたりするから、
同じことが目の前で起きても、そこにいる人たちそれぞれ違って物事が起きているよに見えてしまう。
たとえ、それがニュースだったとしても、伝える側、聞く側、それぞれのフィルターがかかっている以上、
本当に何がそこで起きたのかなんて分からない。
人って、それぐらい実はいい加減なんだと思う。
だからこそ、今生きている世界が全てではない。
たった一個のフィルターを外しただけで、今まで見えた感じた世界が違って見えるのだから。
あなたが見たくて見ている世界は、今、どんな世界ですか?
只今、キネシオロジーの中級クラスを受けている最中です。
脳の仕組みやらなんやら深く調整できるようお勉強中。
今後のセッションに乞うご期待(笑)!