幼少の頃から、ずっとお花畑に住んでいるような子でした。
いつも頭の中で、色々なことを空想して、自分が作り上げた世界を旅していました。
大人になり成長しても、その白昼夢は続きました。
私は、ただ単に空想好きなだけ、想像力が豊かなだけどと思っていました。
が、最近になり、キネシオロジーでそれを手放すセッションを行い
それが一体なんだったのかが、分かってきたのです。
白昼夢に浸っている時、私は完全に地に足がついていない状態、正に夢の中。
幼少の頃は、1日の半分以上は白昼夢の中で過ごし、時には、もうどっちの世界が
本当の世界なのか分からなくなるまでのめり込み、名前を呼ばれて、ハッと我に
返るような日を送っていました。
今でも覚えているのは、我に返った時の残念感(笑)。
もの凄く気持ちの良い時間を奪い取られた悲しさ。
出来たら、完全にこっちの世界に入ってしまう前にまたあっちの世界へ戻りたい。
今考えれば、完全にイっちゃってました(笑)。
両親からあまり手をかけられずに育った私には、現実世界で生きることは辛すぎたのです。
いつも孤独でいる現実に直面するには、幼すぎた。
だったら、自分が欲しい世界を好きに描こう。そして、その中で好きに生きよう。
白昼夢の中は、いつも楽しくワクワクした。
誰も私を傷つけないし、いつも私は守られていた。
だから、私はいつも白昼夢の中で生きていた。
大人になり、好きに生きられるようになった。
それでも、私は相変わらず白昼夢が好きだった。
相変わらずその世界は、心地よく、まるで自分のホームのようだった。
そう、幼少の頃から私の中に居続ける孤独がある限り、現実世界で生きるのは危険なことと、
潜在意識が訴えてくる。
もう好きなように人とコミニケーション出来る大人になったというのに、
相変わらず白昼夢の中で生きようとする。
自分の家族が出来たというのに、心から笑って話せる親友がいるというのに、
私は、まだ孤独を抱えたままだ。
孤独を手放なさない限り、孤独は付きまとうし、いつまでたっても地に足がつかない。
地に足がつかなければ、いつまでたってもこの世界で作り上げたい自分の世界が作れない。
そして、また孤独に陥る。
そう、ただ単に孤独に囚われているだけ。
白昼夢を手放すセッション後、少しの間、私が幼少の頃から抱えていたけど、
その感情に蓋をしてきた孤独を感じる時期を過ごしました。
それは、調整後の一過性のものであることは分かっていても、
大人になった今でもその孤独を感じることは、死んでしまいそうなくらい辛かった。
この孤独をずっと抱えていたんだなぁ。
改めて体感してみる。そりゃ、白昼夢がいい!
酷い虐待の中で育った子供に多重人格と言うのがあると言うけれど、分かる気がします。
そうじゃなくても、幼少の頃の記憶がない人なんかも、現実で生きるのが厳しかったんだろうなぁ。
子供は、自分を守るために色々なものを無意識に身につけていく。
けど、もう大人になった貴方には、それは必要ない。
今度は、しっかりに地に足をつけ、自分が欲しい世界を現実に作っていこう。
貴方のホームは、あっちではなく、こっちの世界なのだから。