以前読んだ本に「本当に愛する人に出会った時などに、自分の根深い根本的な問題が現れる」
と言うような事が書かれていました。
私の例でお話しさせていただくと、まずそれは、結婚した時に起きました。
幸せな結婚なのに、何故か物事が全然上手く進まないのです。結婚後もビザの問題等で
物事が全然上手く進まない。もはやこれは、この結婚が間違っていたものだったのでは?と
疑いかかってしまっていました。
その時に、内なる声が聞こえました。
「問題は、すべて自分の中にある」
今まで何かあるとすべて環境のせいにしてみたり、人のせいにしてみたり、自分の運の悪さにしてみたり。
自分を取り巻く世界を作っているのは、自分なんだ、と言うことを知らずにいた私は、その声に驚いたのと
同時に、ハッと目が覚め、それから自分探しの旅が始まりました。
そして、数年後第一子を妊娠しました。
妊娠中期にさしかかると、日々私の中から溢れ出る感情がありました。
それは、抑えきれない「怒り」でした。これは、産後も続き幸せであるはずの新生児との生活が
「怒り」の感情で溢れていることに気がつきました。
これは俗に言うマタニティーブルーや産後鬱なのかもしれないけど、その奥に隠れている何かを探りたい気持ちで
いっぱいでした。
そして、ある時ついに開けてはいけなかったパンドラの箱を見つけてしまいました。
それは、幼少の頃から抑圧していた「感情」の箱でした。
もう、これ以上は抑圧できないほど、もうこれ以上その箱の中には、感情を押し込めないほど
その箱には、抑圧された感情がいっぱいでした。
なぜ、このタイミングなんだろう?なぜ、この愛する我が子を妊娠し出産したタイミングでよりによって
怒りの感情なんだろう?と不思議に思っていました。
人は、根深い問題は、普段見ないようにしています。
そして、きっとそのまま見ずに終わることも出来るのだと思うのです。
根深い問題を見、触れるのは、とてもとても怖いもので、勇気がいります。
でも、愛が伴えば人はその問題を見ることができるのかもしれない。
自分でその問題を探すことはできないけど、愛だけは、その問題を持ってくることが可能なのかもしれない。
愛する人に出会った時、愛を育んでいる時、または愛する人を失った時、必ずしもいい感情だけが
湧き上がるわけではなく、時には、どうして?と思う感情も出てくるでしょう。
でも、それは、問題を見るチャンスを与えられたのかもしれない。
そして、その愛と共に今度はその問題を解決できるよ、という意味なのかもしれない。
愛はとても強い。そして、深い問題さえも照らし出せる。
愛に出会った時に、どうか見たくないネガティブな感情をスルーせずに今度は見てみてください。
深ければ深いほど痛みは伴うし、時間はかかるかもしれない。
でも、そこを超えた時に自分の中にある愛に気がつくかもしれない。
人は愛で出来ているからこそ、愛から学べる。愛は決していい感情だけをもたらすのではないんですね。
それも含めて愛。愛は、大きくて深い。
痛みがあっても大丈夫。
愛の中へ飛び込んで、潜んでいる見つけてもらいたかった自分の問題を探しに行こう!